最後を飾るのはお葬式
人生最後のセレモニー、お葬式。人間は最後に必ず死にます。その最後を飾るのはお葬式なのです。この年になると親族のお葬式に出席することも多くなりました。また会社の上司などもどんどんなくなっています。お葬式というのは悲しい儀式なのでしょうか?本来は残された親族には悲しいことだと思います。しかし、死出の門出は笑って送り出すことはできないのでしょうか?不慮の事故や若くして病死などでは残された家族にも未練がのこりきっと悲しいものになるのでしょう。しかし大往生の場合はどうでしょうか?本来きちんと一生をまっとうした証のセレモニーなのですから、楽しく送り出すのが本人にとってもよい形なのでは?と思ってしまいます。また色々な形のお葬式があると思います。今は生前に自分で葬儀の形を決めることもできるようですし、自由な形で葬式をプロデュースしたいですね。ただ自分で見る事ができないのがざんねんですが。
UP DATE : 2010/03/10
ある日の名言 : 自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。
お葬式に来ている人
お葬式に来ている人のどれだけが本当に悲しんでくれているのでしょう?出席してみると結構めんどくさいといってる人も多いのでは?形だけの葬儀やお悔やみならばやらなくてもいいと思います。昔の天皇や豪族は自分の力を誇示するために生前から大きなお墓を作っていました。やはり生前から自分の死後も生きた証を残したいという欲があるのでしょう。しかし自分が死んだ場合はお葬式は悲しまないでほしいと思います。流行の歌ではないですが、死んだらきっとお墓にはいないのだと思います。風になって自由に飛び回ることができるのだと思います。また病気や事故で動けなくなった人は自由になれるのですからきっと葬式はある意味お祝いになるのではないでしょうか?人生は魂の歴史の中ではほんの一部。お葬式はきっとその節目のセレモニーなのでしょう。お葬式を迎えることによって残された人々、また本人も自由になるのだと思います。だからお葬式はもっとしめやかでなく楽しい形で行うべきだと思います。
お葬式って悲しい
私は来年二十六歳になるが、「お葬式」は一度だけ経験したことがある。父方のひいおばあちゃんが亡くなった時だ。「お葬式」と聞くとあまりいイメージがなかった私は、そのたった一度の経験によってとても素晴らしいものだと実感した、というよりは一人のお坊さんに「素晴らしい儀式」なのだと教えてもらった。ひいおばあちゃんは本当に優しくて、遊びに行くといつもおいしいご飯を作って出してくれた。冬に行くおばあちゃんのお家は掘りごたつの独特な匂いでいっぱいで、その匂いが何となく落ち着いたものだ。そんな大好きなひいおばあちゃんが亡くなる前日、病院に行き、弱々しく変わり果て、言葉もろくに話すことのできないおばあちゃんを、涙が邪魔して見ることができなかった。今まで感じたことのない張り裂けそうな胸の痛みに耐えるのに必死になったのを今でも忘れられずはっきりと覚えている。お葬式の朝、重たい気分で家族とともに式場であるにひいおばあちゃんのお家に行った。木の冷たい棺に入っているひいおばあちゃんを見て、涙が次から次に溢れてきて止まらなかった。つい何日か前まで温もりのあった手は氷のように冷たくて、きれいに化粧をされた顔は微笑むこともなく、目を開けてくれることもなかった。式が終わった後も泣いていた私に、ご供養をしてくださったお坊さんがこんな話をしてくださった。「おばあちゃんはね、死んだんじゃないんだよ。というよりかはそもそも「死ぬ」ということは悲しいことじゃない。
お葬式って不思議
一つの旅を終わって、また新しい旅の準備をする為に天国に帰って行ったんだ。お葬式というのはね、そんな一つの旅を終えた人たちに「お疲れ様でした」という意味と、新しい旅立ちを見送る式なんだ。お穣ちゃん達に例えたら、卒業式みたいなものだね。お葬式は人生で一番最後の卒業式なんだよ。」この言葉は私の心をとても温かくしてくれた。話を聞き終わった頃には不思議と涙は止まっていた。私はまだ人生の半分も生きていないが、はっきり言っていつ死ぬかなんてわからない。しっかり人生を最後まで全うして死んでいくかもしれないし、事故で唐突に命を落として死んでいくかもしれない。当たり前に来ると思っている明日は、もしかしたらあと一度だけしかやって来ないかもしれないのだ。人生を終えた時に少しでも後悔しないよう一日一日を大切に生きていきたいと思う。お葬式は亡くなった方を見送る為の素晴らしい儀式であり、見送る私たちにとっても、人生に対する考え方を改めて見つめ直すきっかけとなるものだと思った。
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